「場数」は糧になる。吃音の私が人前で活き活きと話せるようになるまで。

2023年最後のイベント企画運営を終えた後、大尊敬している方からこんなメッセージが(一部抜粋)。

「今日は、本当にお疲れ様でした!あの場の盛り上げは明日梨さんのMCあってこそで、さすが広報のプロだなぁと感じました。」

最初は驚き、その次に嬉しさが込み上げてきました。

その運営メンバーに私が招集されたのは開催からわずか2週間前のことで、与えられたミッションは、オンライン/オフライン同時開催で合計70名弱の参加者がみんな楽しめる企画を実行するという初めての試み。

私は主にシステム担当で、オンライン/オフライン同時に楽しめるWebサービスの選定と、仮想Webサイトに見立てたルール説明&景品紹介スライドの作成と、当日パソコンをポチポチする係だったので、そのオペレーションのスムーズさを褒められたらとは思っていたのですが、まさかMCを褒められるとは想定外。笑

けれども、確かに私はパソコンをポチポチしながら同時にたくさん喋ってその場を回していたのでした。

目次

吃音で思うように話せなかった子どもの頃

私は、2歳の頃に発症した難発型の吃音という障害が今でも残っています。

その正体をはっきりと知ったのは20歳を過ぎた頃でしたが、振り返ると、心当たりはいくつもありました。

幼稚園でも、小学校でも、クラス替えの度に自分から人へ話しかけることができず、最初に話しかけてくれた友達とその瞬間を今でも思い出すことができます。

地元から少しだけ離れた中高一貫の学校では、小学校から一緒に進学したはずの友達に対して「おはよう」のたった一言が突然言えなくなり、次第にクラスで孤立していくことに。

 

吹奏楽部でパートリーダーや会計に任命されてからは、全体連絡の前に何度も脳内シミュレーションをして、緊張で声が震えそうになるのを必死に誤魔化しながら発言していました。

部活中だけは何故か言葉が出てきたものの、教室では常に萎縮していたので、お昼休みは次第に音楽室で過ごすようになり、高校3年生での部活引退後は、教室の隅で受験勉強をしながらひっそりとお弁当を食べていた日々。

人前で話すことへの小さな挑戦

父親が私より重度の吃音を抱えており、両親共に医療従事の経験があるはずなのに、私に吃音のことを教えてくれなかったのが何故なのか、、、今でも聞けずにいるのですが、大人になるまで知らなかったことは、もしかしたら不幸中の幸いだったのかもしれません。

物心がついた頃から「生きづらさ」を抱え、その正体がわからずにモヤモヤとしながらも、私は、挑戦することを諦めませんでした。

小学校高学年では、毎年必ず学級委員または文化祭実行委員に立候補するように。人前に立つ恐怖がありながらも、責任感と「役割」が、私に話す勇気をくれました。

小学校6年生の文化祭でクラスの男子に振り回されて心が折れ、中学高校では女子の流行についていけず、以降は教室で目立たない存在となってしまったのですが…。

高校生のとき、諸事情で修学旅行に参加できなくなってむしろ安心したくらい。笑

 

部活では、大好きな音楽と、先輩後輩の存在が、そんな私の背中を押してくれました。

不登校にならずにいられたのは、どんなに教室にいづらくても、放課後に吹奏楽部という居場所が待っていたから。私に、パートリーダーや会計という役割を与えてくれたから。

当時、吃音という正体を知らなかった私のあやふやな悩みを、嫌な顔をせずに聞いてくれつつ、責任感などといった良い一面を評価してくれた先輩方には今でも頭が上がりません。

徐々に自信を持てるようになった大学生活

そんな私に訪れた転機は、大学生になってから。

「九州大学 芸術工学部 音響設計学科」という珍しい学部学科に進学すると、私なんて「普通」だと思えるくらい、(尊敬の念を込めて)尖った個性的な人たちに囲まれた環境で、一人暮らしも始めて、伸び伸びと「自分らしさ」を見つめることができました。

特に大きかったのは、大学1年生の夏、福岡県内の5つの大学オーケストラが合同で活動する「福岡学生シンフォニーオーケストラ」の常務委員に立候補したこと。

その冬、5大学の同期10人で、参加者同士の親睦を深めるレクリエーション大会を運営したり。

 

2年目の夏と冬には、オーケストラの会計を担い、数百万円の予算と決算に関する総会で前に立ったり。

細かい質疑応答を入念に準備した当時の経験が、まさか社会人になって広報として活きるとは思ってもいなかったですが。

演奏会当日の現場だけでも約150人、5大学の会員総勢では約350人を巻き込み、自分が運営に携わった「場」でたくさんの人が見せてくれた笑顔。そのやりがいは今でも忘れられません。

音楽イベントでのMC経験の積み重ね

大学3年生の夏に乗務委員を引退してからは、就職活動に注力…するはずが、新しい興味関心へ惹かれるように。

それは、自分自身が演者としてではなく、大学4年生〜修士2年生の学生が裏方として、外部の音楽家を招聘して公演を企画制作すること。

実態としては深刻な人手不足だったので、裏方の私たちが持ち回りで司会進行まで務めていたのですが、それがまた、人前で話す経験を積む機会となりました。

特に修士1年次は学生代表を務め、公共文化施設に勤めるプロの方との会議の進行や、その準備は、毎回緊張しながらも多くの学びを得ることができました。

 

修士2年次には、オープンキャンパスで学生向けの企画運営リーダーと当日MCを担当したことも。

 

そんな大学院生の私は、裏方へ徹することに飽き足らず、自身が演奏家として出演する自主公演も開催するように。

クラシック音楽の演奏会では、出演者が一言も言葉を発さずに演奏のみをお届けすることが主流ですが、私が主催する公演では、演奏だけでなく、MCなどで「声」を届けることにも拘りました。

 

少し時間を遡りますが、学部時代から、博多阪急デパートの地下や、大学の近所にある老人ホーム等で演奏機会をいただき、その際に簡単なMCを務めたことも、小さな、だけど確かな経験に。

 

人前に出るようになった最初の頃は、一言一句、手元に原稿がないと緊張で話せない私でしたが、大学での6年間を通して、ラフな原稿にアドリブを交えて話すことができるようになっていきました。

挑戦した数のぶん、失敗した思い出もたくさんありますが、、、それらも全て有り難い経験です。

「ビジネスの場」で話した初めての経験

そんな私にとってのもう一つの大きな転機は、修士1年の夏に参加した、ワークスアプリケーションズでのインターンシップ。

それまでの私が人前で話すことができたのは、「音楽の場」に限定されてのことでした。

だからというわけではないですが、初めて挑戦してみたIT業界のインターンシップ。そこで与えられた最終課題は、自分が企画・実装した製品をプレゼンテーションするというもの。

2回の中間報告では最低評価を受けてしまった私ですが、最終プレゼンの場にて、ビジネスマンを相手に話すことが「楽しい」という充実感を感じることができ、それによって「入社パス」という内定のような権利を得ることができした。

その体験がきっかけとなり、以前から志していた音楽業界への就職と迷いながらも、IT業界で挑戦してみたいと思い、同社への入社を決めたのでした。

 

入社1年目の研修を終えたBizDevへの配属直後、所属部門の約200名を対象とした社内研修の運営に立候補し、同期5人の運営チームで私がリーダーを務めました。

そこで、これまでの演奏会運営経験が活かされてスムーズに当日を迎えることができた上、私のMCが高評でVPの方に褒められたことがとても嬉しかったです。

その後、社内公募の選考を経て広報部門へ異動することになりました。

LTという文化に触れて

当時SNSを活発に利用していた私は、終業後に女性エンジニアのコミュニティでLTに登壇してみたり、音楽×デザインというテーマで自らLT会を企画したりということも。

その後、コロナ禍の影響もあり活動は休止してしまいましたが、いつかまた再開できたらと心に秘めています。

講師としての登壇経験

2019年〜2021年にかけて、クラシック音楽×ホール、クラシック音楽×広報というテーマで、講師として登壇させていただく機会がありました。

どちらも、サポーターの方や、転職した新しい職場の上司のレビューのおかげで前に立つことができましたが、受講者のみなさんに何か少しでも持ち帰れるものを残せていたらいいなと思います。

挫折と休職、うつ病との闘い

この項については別の投稿にて。

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これまでの集大成となった結婚式

2023年4月22日、大好きな人との結婚式を挙げました。

この日のエピソードは枚挙に遑がないのですが、特筆すべきは、二次会という名の演奏会にて、私が楽器のみならずマイクをずっと握りしめ、喋り倒していたことでしょうか。

大学以降の友人には既にある程度本性がバレていましたが、高校時代の友人には、私がこんなに人前で喋れる人間だったのかということにとても驚かれました。

これまで積み重ねてきた経験の集大成といえる結婚式とその二次会について、詳しくはまたどこかで。

 

それから、最近もまた演奏会を主催したり、代表としてオーケストラを結成したり、人前に出る機会が増えてきました。

おわりに

結婚式を終え、5月には仕事を再開しました。

そんな今年最後のお仕事が、冒頭で触れた、会社の納会での企画運営。

たかが納会、されど納会。

広報としてのミッションの一つである「社内コミュニケーションの活性化」を推進すべく、夢中になって準備を進めました。

当日その場を運営しながら、半ば無意識にMC…というよりも楽しく自由に喋っていた私ですが、それができたのはきっと、これまでの数々の経験があったから。

失敗も成功も数え切れないほどに。でも、そんな「場数」が、いざというときに自分へ力をくれる気がします。

 

吃音はやっぱり未だに克服できないし、本当はインドア派で臆病な私ですが、これからも一歩ずつ、小さな挑戦を積み重ねていければと思います。

それでは♪

明日梨

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